明日は映画の日


俺は一体どうしちまったんだ。



真夜中のビル群をヒップホップ専門チャンネルが流れるスーパーカーで駆け抜ける、ハンティングの後ポップソングを聴きながら夕焼けに染まるハイウェイを走る、田舎のバーでダーツをし泥酔状態でバギーに乗って野山を駆け巡る、前までなら そうやってGTA5を楽しんでいた。なのに今の俺はどうだ、始めるやいなやダサい盗難車で目を血走らせてビーチへ向かい売春婦を拐っては山奥で殺しているだけだ。あるときは車を降りて逃げ惑う売春婦をライフルで“ハニーハント”し、またあるときは逃げる売春婦の後をずっとつけてナイフで切りつける。撲殺することもある。車に売春婦を乗せたままトップスピードで崖から飛び降りるなんてこともした。
どうしちまったんだ、なんで俺はこんなに……。



狂気にとりつかれたとしか思えない奇行の数々。既に俺の中のMADが目覚めていた。
この状態でマッドマックスを観たら俺はもう戻ってこられないかもしれない……。





しかし『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観た俺の心はなぜか浄化されちゃった!なんでって、ヤツらのほうが完全にイカれてたんだ~~~~~!!!!!!ワ~~~~~イ!!!!




マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観た日、僕のIQは完全に2000を超え(友達も「お前2000超えてるね」と言っていた)興奮のあまりとても頭のいい記事をブログにアップした。確か観客の90%以上をおっさんが占める中ひとりで観に来ていた女の子のことを「僕のフュリオサ」などと書いていてこれは完全に意味がわからないなと思った。
少し経ってIQが落ちてしまい人間と同じレベルで物事を考えるようになり同時に様々な感想などが生まれたけれど感想や考察などは本当にたくさんの人たちがしてくれていてどれも面白いのでそっちを読んでね。僕は「最高~!」としか言えないし、どれくらい最高かと言うと、先日友達が「俺も今日マッドマックス観た!」と言うから「マジで!!フュリオサとイモータン・ジョーのあのシーン最高じゃない?!Remember me?ね!」と言ってフュリオサとイモータン・ジョーの真似をしたら「あのシーンに台詞なんてあったっけ?」と言われ、ニュークスについても「いや泣けはしないけど(笑)」と言われたにも関わらず結局ドゥーフ・ワゴンとドゥーフ・ウォリアーと爆発の話を経て「とにかくマッドマックス超面白いな」というところに行き着くくらい最高。
映画秘宝玉袋筋太郎さんが「宇多丸と酒を飲んでマッドマックスへの不安を話し合っていたところ後から合流した高橋ヨシキさんが本編を観ていないにも関わらず「絶対に大丈夫だ」とキッパリ言った」と書いていてそれも「最高~!」と思った。


おそらくこれから何十回とこの映画を観てその度に「最高~!」と言うんだろうなあ。やってやるぞ!という気持ちにもなるだろう。
現に今も思い出してそういう気持ちになっているし、今の僕なら中2の夏休みの部活帰りに近所の細い交差点でエスティマ乗ったババア(多分同級生の母親)に軽く巻き込まれて自転車ごと転んで、びっくりしてとっさに「大丈夫です!」と言ったときに間髪入れず「大丈夫なんだって!○○さん!ほら!大丈夫なんだから早く行こうよ!!!」と大きな声で事をなかったことにしようとした後続車のババア(多分同級生の母親)を車から引きずり出して鉈で頭をかち割ってやれる気がするよ。っていうかしてえ。エスティマのババアも許さねえぞ、僕の車のフロントに磔にして怒りのデス・ロードをドライブしてやる。







そういえば『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を鑑賞して思い出したんだけど、僕は小学3年生のときに道徳の授業で観た、昔僕の地元で起こったという水をめぐる大きな争いを切り絵風アニメにしたビデオの中の「怒りが頂点に達した農民が相手農民の頭を鉈で割り血が吹き出るシーン(そのシーンだけ背景が真っ白になって人や物がシルエットしか映らない)」で何かに目覚めたんだった。どうりで立派な道徳観が育まれたわけである。僕は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を通じてつくづく学校教育の尊さを感じた。ありがとう、学校。ありがとう、マッドマックス


とはいえ衝撃のあまり覚えていないシーンがけっこうあるので明日もう一度観に行きます。『セッション』も観ちゃう。グフフ。